弟は日に日に意識がしっかりしています。
昨夜は心配していましたが、看護師さん達は忙しかったらしく、あまり出入りがありませんでした。 私はまとまって眠れたようです。 もちろん弟もなんともなく過ごせました。
そして昼には尿管からの管も外されていました。
今日も朝から「あいうえおコミュニケーション」です。 まだ私が顔を洗う前に少しやりました。
「まだ何かある?」と聞いたらうなづくので始めたら「ありが」まで出てきたので、 「ありがとう?」と聞いたらまたうなづきました。 私は照れくさくて、「当たり前の事しよっちゃけん・・、いちいち伝えんでもいい・・」と言い腕を叩いてしまいました。 そう言うと弟の目の周りは真っ赤になり涙がこぼれていました。
私も我慢できず涙が出てきたので、「早よ顔洗わな、誰か来るかもしれん・・。」と言いながら、 泣き声を水の音でかき消しながら顔を洗いました。
下の文字は昨日、友人が書いたものでした。
その後も私は何も食べる暇もなく、15時に出るまで、たくさんコミュニケーションを取りました。
ますます意識がはっきりしてきたので、気になることがたくさん出てきたようです。 先月亡くなった宮崎の叔母の初盆に行ってくれ・・とまで・・。
車の事、アパートの事も色々と聞かれましたが、現状維持しているとしか言えません。 車は従兄弟の名義にし、アパートも6月半ばには退去するのですが・・・。
そして、主治医の説明もしてあげましたが、四肢麻痺と嚥下障害が残る話は出来ません! すぐにしゃべれるようになるよ〜〜!としか言えません。
15時、笑顔で「帰るよ〜、また週末ね!」と言いました。 弟の口元は一生懸命「ありがとう」と動いていました。
一人の時間が長くなると・・・と思うとまた辛いです。
福岡空港に到着し、搭乗を待っていると急に悲しくなります。 涙が出るのを我慢します。最寄の駅まで迎えに来てきれたので、それまで何度も我慢しましたが、 車に乗ったとたんに思いっきり泣きました。
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2011年05月15日(日)
No.798
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