こんなのを見つけてしまいました。
2013年2月17日のWH練習会での写真。Hamomamaさんが撮ってくれていました。 出血性大腸炎になり、幸い助かった後、元気になった時の写真ですね・・。 私は凄く嬉しかったからですね、この笑顔・・。
我が家で産まれたバーニ、私が生涯初めて犬のお産に立ち会い始めて取り上げた子です。
実は生後すぐに鼠径ヘルニアがわかり、必然的に我が家に残ることになった子でした。 4ヶ月の時にその手術もしました。私も一泊、一緒に入院できる病院で無事に手術を終えました。
エリナが大好きで私にはさほど喜ばない子でしたが、エリナが留学し居なくなったら、すっかりママっ子になってしまいました。
ジュディとユウリがあまりにも仲良しだったので、余計にママしか頼れて大好きになる人が居なかったのだと思います。 お風呂に入るとドアの前のバスマットに座って待っていたのを覚えています。
散歩の時、誰かと一緒で私がすぐそばにいるのに、私がリードを持っていないと歩けないバーニ。 それがエリナでもパパでも・・。
仕事部屋からリビングに何か取りに行く、ほんの一瞬でも私が歩き出すといつも後ろから歩いて来ていたバーニ。
とっても真面目で訓練もアジリティーも師匠からも真面目だと褒められ、 これ以上のウエスティーは作れないとも言われたバーニ。
我慢強くて、トリミングも爪切りも、歯石取りも、病院でも抵抗はするけど絶対に唸ったり歯をむき出したり、 もちろん噛もうともしなくて、東大の研修医の先生に本当に偉いと褒められたバーニ。
とても賢くて、何でも覚えてしまうバーニ。 まだ生後3か月までの兄妹で過ごした時期、私が目覚まし代わりに携帯の着メロを使っていたら、それをしばらく覚えていました。 その着メロが聞こえると尻尾を振って喜んでいました。 目覚ましで起きるとバーニたちのゴハンの時間だったからです。
1日8回のゴハンもスマホの着メロがアラームでした。だから、鳴ると大騒・・他の子はほとんどわかってなかったようなのに。
他の子のワンツーのオシッコの後もちゃんとおやつを貰えるってわかっていたし、 広場で遊んでいる時、アーリィを呼び戻すとおやつを貰えるとわかってアーリィ!と呼ぶといつもバーニが戻って来ていたし。
私に都合が良いことも悪いこともちゃんと覚えていたバーニ、ジュディとは違う賢さだったね。
名前を付けてもらった時に、この子は一番になりたい子だと言われ、ジュディが一番だから・・といつも2番目だったバーニ。
ジュディが逝ってしまい、当然1番になるはずだったから、わざわざ病気にならなくたよかったのに・・。
インスリノーマだと診断され、手術をしたけど、腫瘍は取れず、余命は1年未満と言われ、それでも2年8ヶ月一緒に居られました。 いつ何が起こってもおかしくないけど、低血糖の症状で逝かせることは絶対にないと自信がありました。 完ぺきに管理していたつもりだから。
でもステロイド服用の副作用から、何が起こるかわかりませんでした。 いつかは、東大で、どんな最期を迎えることになるのかを聞こうと思っていたのに・・。
予期できなかった事と言えば、仕方ないのかもしれないけど・・。
最近になって、バーニはいつ逝ってしまっても、やるだけのことはやっているので悔いはないと思っていました。 そして、バーニが居なくなったら、こんなことが出来るようになるなぁ〜、出来なくなるなぁ〜と、いくつか考えたりもしていました。 それはそれが早く出来るように望んでいるわけでもなく、だた、そうなるよね・・と思っていただけだったのに・・。 バーニや神様は私にそう思わせたのか?私が思ったからこうなったのか?
バーニの最期はしっかり抱っこして話しかけながらさよならしたかったけど、叶いませんでした。 19日夜から20日の亡くなるまでに起きたことは、あまりにも予想外の事ばかりです。
あの時こうしてたらどうだったかな?とか、こんな風にしていればもっと違ったかも?と沢山の沢山の沢山の思いが駆け巡ります。 全く後悔していると言うと嘘ですが、後悔するとバーニに申し訳ありません。 起こることは全てベストです。とそう思うようにしています。
|
2015年01月26日(月)
No.642
|
|